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身体との付き合い方ー脳科学・コミュニケーション・インタフェースからー

Posted by クリエイティブデザイナー on 19.2010 考え 0 comments 0 trackback
哲学センスのない私が、身体について少し考えてみた。

・老いよる身体(主に脳)の変化と人間生活を脳科学・コミュニケーションを頼りに探る

・身体障碍者(特に、目も耳も途中で不自由となった福島さんを例として)をきっかけとして、ディスコミュニケーションとその改善法を考え、そこで得た知識からインタフェースへと話を広げる

この2テーマを述べたい。



まず、老いによる脳の変化について。
脳については、神秘性が故、非常に曖昧な議論がなされている。
よって、今回述べることも正しいかは定かでないが、述べてみたい。
「脳の局所性」という大発見が昔あった。
しかし、最近は、例えば視覚野を構成していた脳細胞が死滅したとしても、シナプスの組み換えが起こり、脳の別の部分で働きを補うことができるそうだ。
それが、実際起こっているとされる一つの例が、植物人間患者さんの回復である。
昨日は、ある植物人間の奥さんを介護する旦那さんのビデオを見た。
植物人間状態から回復していく過程を、その旦那さんは「まるで、奥さんが赤ちゃんとして生まれ変わったようである」と述べている。
確かに、ビデオを見る限りではそのように読み取ることができた。
物の食べ方や言葉を覚えることから始め、反抗期を迎えて髪の毛を引っ張ったり、愛情表現方法が変化していく様子がアリアリと伝わってきた。
「自分がこの旦那さんの立場だったら、果たしてここまで面倒を見れるか?」
正直、そんな考えも浮かんだ。それほど、介護とはしんどいようである(経験してないのでわからないが)。

このビデオから学んだことは、大きく以下の2点である。
・脳は、我々が想像するよりはるかに高度な機能を有している
・介護におけるコミュニケーション(患者と介護者、そして医者との)の難しさと、その軽減方法(ロボット技術?)について強烈に考えさせられた。

2055年には、若者一人が一人の老人を助ける時代がやってくる。
介護の問題を考えないわけにはいかないだろう。
それを、ロボットを代表とする「技術」で乗り越えようという考えを全肯定するつもりは全くない。
しかし、大きな手法の一つとして、いわゆる介護ロボットを普及させていくという流れもしっかりと考えないといけない。
そう強く考えさせられた。



それにしても、介護は難しい問題だよな。。。。。







次に、身体そのものを感じることについて。

身体を(宗教的意味ではなく)日常生活から乖離させ、自らの身体を感じ、他人に委ね、互いが感じあうというワークショップを行った(ちゃんとした大学の授業である)。
脱力状態を40分くらいかけて作れば、日常感じる身体と全く違ったものとなり驚いた。
まず、腕の重たさが違う!
重力をしっかりと感じることができ、かなり重たいモジュールが付いていたということを認識させられる。
さらに、肩の力を本当に抜くことができた。恐ろしいほど。
普段は、知らない間に常に肩に力が入っているものだ(だから、私も肩こりに悩まされている。。20歳代だがww)。
それを、ワークショップで慣らすことで、驚くほど力を抜くことができ、身体としてリラックスすることができた。

ここから言えるのは、私たちは、自らの身体が身近であるがゆえ、ほとんど普段意識していないということだ。
さらに、ストレス社会と言われる中で暮らしているが故、知らぬ間に緊張感を保ったまま生活をしている。
心身ともに健康でいるためには、たまにはこういった”超越した”ストレッチをしなくてはいけないのかもしれない。
そして、他者と身体を用いてコミュニケーションを行う中で、興味深い命題を発見することができた。
「リーダーは、フォロアーがついてきてくれるからこそリードできる」
面白いもので、お互いが手をつけて、どちらかがリーダーとなり手を動かしていく。
その中で、フォロアーがピタッと手を止めれば、リーダーは全く手を動かせなくなるのである。
リーダーシップについては、大学生活の中で最も考えさせられたテーマの1つであるが、リーダーシップの原理は、こういった身体からも議論できるということである。
学問体系として成り立っていない、曖昧な知識、しかしとても私たち人間にとって原理的な部分から考えを積み重ねていくことで、もしかしたら様々な社会現象を説明できるのかもしれない。


さらに、話を進める。ワークショップの中で、目も耳も聞こえない(しかし喋られる)人といかにコミュニケーションを取るかという実験も行った。
「夕食に食べたいものは何ですか?」「好きな電化製品は何ですか?」
こんな簡単な問いかけでさえ、聴覚と視覚を使わずにコミュニケーションしようとすると大変苦労する。
どちらの立場も経験させてもらったが、支援する側の方が100倍しんどい。
介護をしたことはないのだが、介護疲れが社会現象となる現状が少しわかる気がする(よって介護ロボットは急務だと私は考える)。

このワークショップの中でも様々なことを感じた。
・支援する側の人が、自然と支援される側の人と同じ方向を向き、身体同士の距離を短くする。
・支援される側の人が、自発的に、そして立体的に動作できるよう支援しないと、全く想いは伝わらない。
・コミュニケーションルールそのものも上手く伝達できない状況ではあるが、ある程度きちんとしたマニュアルがなければコミュニケーションの途中で止まってしまう(例えば、今回の場合「濁音」を伝えることに相当苦労した)。
・障碍者一人ひとりに応じた特性が違うので、万人に受けるインタフェース(例えば点字など)を作ることは非常に困難である(が、非常に興味深い)。

私の中で、インタフェースとは、(普通の意味での)健常者が使いやすいデザインを追求していくものであると知らない間に考えてしまっていた(つまり「ユーザビリティ」の向上ばかりに目が行ってしまっていた)。
しかし、それは間違いで、誰もが使いやすいデザイン(アクセシビリティ)を、例えば身体といった人間の基本的な事柄から考えていくという発想が非常に大切であることを実感することができた!

ある人は、触って"観れる"博物館を作っているようである。非常に面白い試みだなと感じた。
もっと、身近なところに、実験のテーマが転がっているような感覚を覚えた。
「灯台下暗し」実験テーマについてもいえることかもしれない。
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