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一昔前の自己分析ツール

Posted by クリエイティブデザイナー on 28.2010 未分類 0 comments 0 trackback
ご無沙汰しております。
先日、私が半年以上も前から企画してきたプレゼンテーション・カフェという企画が終わりました!
予想以上の大盛況で、大変嬉しかったです!!
一生の思い出と自信になった!!

それにしても、自分のプレゼンの酷さが、ビデオと採点シートを見ればすぐわかるwww



さて、3か月ほど前に、後輩から勧められた自己分析ツールを使ってみました!
まぁ、ほとんど当たっているというかわかっていたことやけど。
でも、回答しながら、昔からの影響で「周りの人を気にする」習性があることがわかりました。
大学生になってから大きく変わった私ですが、やはり昔からの考えから完全に抜け切れていない部分もあることを実感しました。



未来志向

「もし・・・だったら、どんなに素晴らしいだろうなぁ」と、あなたは水平線の向こうを目を細めて見つめることを愛するタイプの人です。未来はあなたを魅了します。まるで壁に投影された映像のように、あなたには未来に待ち受けているかもしれないものが細かいところまで見えます。この細かく描かれた情景は、あなたを明日という未来に引き寄せ続けます。この情景の具体的な内容――より品質の高い製品、より優れたチーム、より良い生活、あるいはより良い世界―― は、あなたの他の資質や興味によって決まりますが、それはいつでもあなたを鼓舞するでしょう。あなたは、未来に何ができるかというビジョンが見え、それを心に抱き続ける夢想家です。現在があまりにも失望感をもたらし、周囲の人々があまりにも現実的であることが分かった時、あなたは未来のビジョンをたちまち目の前に呼び起こします。それがあなたにエネルギーを与えてくれます。それは、他の人にもエネルギーを与えます。事実、あなたが未来のビジョンを目に浮かぶように話すのを、人々はいつでも期待します。彼らは自分たちの視野を広げ、精神を高揚させることができる絵を求めています。あなたは彼らのためにその絵を描くことができます。描いてあげなさい。言葉を慎重に選びなさい。できる限りその絵を生き生きと描きなさい。人々はあなたが持ちこんで来る希望につかまりたくなるでしょう。


競争性

競争性の根源は比較することにあります。世の中を見渡すとき、あなたは直感的に他の人の成果を気にしています。彼らの成果は究極の評価基準となります。あなたがどれほど頑張っても、あなたの目的がどれほど価値のあるものであろうと、競争相手を超える出来映えで目標に到達していなければ、その成果が無意味に感じられるのです。競争性の資質を持つ人は、誰もが競争相手を必要としています。あなたは比較することを必要としています。比較することで競争ができ、競争すれば勝つことができるからです。そして、勝った時それに勝る喜びは全くありません。あなたは測ることを好みます。それは、比較を可能にするからです。あなたは競争相手を好みます。なぜなら、彼らはあなたを奮い立たせるからです。あなたはコンテストが好きです。コンテストには必ず勝者がいるからです。特に、勝つ可能性が高いと分かっている時、あなたはコンテストを好みます。あなたは負けた時に、競争相手には礼儀正しく、感情を外に出しません。あなたは単に楽しむためだけに競争はしません。勝つために競争するのです。長い目で見ると、勝つ見込みがなさそうな場合は、コンテストを避けるようになるでしょう。


達成欲

「達成欲」という資質は、あなたの原動力を説明する助けになります。達成欲は、何かを成し遂げたいという恒常的な欲求を示しています。あなたには、毎日がゼロからのスタートのように感じられます。あなたは自分自身に満足するために、一日が終わるまでに何か具体的ことを成し遂げなければなりません。そしてあなたにとって「毎日」とは、平日も週末も休日もすべてを含めた一日一日を意味します。休みを取ったとしても、何も達成することなくその休んだ日が過ぎてしまうと、あなたは不満に感じるでしょう。あなたの中にある炎が、次から次へとあなたを行動に駆り立てます。一つ何かを成し遂げるとその炎は一瞬しずまりますが、またすぐに燃え出し、次の目標へまた次の目標へと、強制的にあなたを前進させ続けます。達成に対するあなたの執拗な欲求は、必ずしも論理にかなっていないかもしれません。方向すら定まっていないかもしれません。しかし、飽くことを知らず常にあなたについて回ります。達成欲の旺盛なあなたは、このわずかに満たされない気持ちとうまく付き合っていけるようにしなければなりません。なにしろ、この気持ちにはそれなりの利点があるのです。長い時間燃え尽きることなく働くために必要なエネルギーを、あなたに与えてくれます。新しい仕事や難しい仕事に取りかかる時、いつでも頼ることができる起爆剤なのです。これがエネルギーの源となって、あなたは職場のチームが働くペースを設定し、生産性のレベルを定めることができます。これが、あなたを動かし続ける資質なのです。


学習欲

あなたは学ぶことが大好きです。あなたが最も関心を持つテーマは、あなたの他の資質や経験によって決まりますが、それが何であれ、あなたはいつも学ぶ「プロセス」に心を惹かれます。内容や結果よりもプロセスこそが、あなたにとっては刺激的なのです。あなたは何も知らない状態から能力を備えた状態に、着実で計画的なプロセスを経て移行することで活気づけられます。最初にいくつかの事実に接することでぞくぞくし、早い段階で学んだことを復誦し練習する努力をし、スキルを習得するにつれ自信が強まる――これがあなたの心を惹きつける学習プロセスです。あなたの意欲の高まりは、あなたに社会人学習――外国語、ヨガ、大学院など――への参加を促すようになります。それは、短期プロジェクトへの取組みを依頼されて、短期間で沢山の新しいことを学ぶことが求められ、そしてすぐにまた次の新しいプロジェクトへに取組んでいく必要のあるような、活気に溢れた職場環境の中で力を発揮します。この「学習欲」という資質は、必ずしもあなたがその分野の専門家になろうとしているとか、専門的あるいは学術的な資格に伴う尊敬の念を求めていることを意味するわけではありません。学習の成果は、「学習のプロセス」ほど重要ではないのです。


回復志向

あなたは問題を解決することが大好きです。さらなる困難に遭遇するとうろたえる人もいますが、あなたはそれによって力を与えられます。あなたは症状を分析し、何が悪いのかを突き止め、解決策を見い出すという挑戦を楽しみます。あなたは現実的な問題を好むかもしれないし、抽象的な問題、あるいは個人的な問題を好むかもしれません。あなたはこれまでに何度もぶつかって、解決できる自信がある分野の問題を探し求めるかもしれません。あるいは、複雑で馴染みのない問題に直面したとき、あなたは最もやり甲斐を感じるかもしれません。あなたが実際に何を好むかは、あなたの他の資質や経験によって決まるでしょう。しかし確実に言えることは、あなたは物事に再び生命を与えることを楽しんでいるということです。底に潜む要因を明らかにし、その要因を根絶し、物事を本来あるべき輝かしさへ回復することを素晴らしいと感じるのです。もしあなたの介入がなかったら、たとえばこの機械は、この技術は、この人物は、この会社は、機能を停止してしまった可能性があると本能的に分かっています。あなたがそれを直したのです。それを蘇生させ、活気を取り戻させたのです。あるいは、あなたらしい表現で言えば、あなたはそれを救ったのです。



P.S.
マジで大学院留学したいと思ってきた。
英語本気でやろ!!!
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涙、涙

Posted by クリエイティブデザイナー on 23.2010 ヒント 0 comments 0 trackback
今日の龍馬伝は泣いて泣いて泣きまくりました。。。
皆が、避けられない運命に飲み込まれていく。。。

武市さんの別れのシーンはやばかった。
役人に連れて行かれる武市、最後の会話を交わす嫁さん。
あんなに夫を理解し支え続け、最後まで尽くしてくれる女性。凄いですね。
そう思うと、今は幸せなのかもしれないなと感じます。


追われている以蔵を助けようと懸命になる龍馬。
友達の生きざまを見守る強さと向き合う龍馬。
信念を貫き、勤労党を支えてきたリーダーとして、どうにもできない問題を抱え続ける武市。
ふっと気づけば、奥さんに寂しい思いをさせてしまったと思う武市。
弟子を必死で守る勝海舟。
人の気持ちが商売のおまけであることを悟る弥太郎。

皆、自分に正直に生きている。
その素晴らしさが身に染みました。


たまに思うんです。
もしかしたら、現在の国が昔の藩で、現在の世界が昔の日本ではないのかと。
そんなアナロジーが成立するのではと思うんです。
真実でなければよいのですが。。

今の世界を動かしているのは何だ?
今私は何をすべきなのか?
自分に素直に生きているのか?

そんなことを自問自答しています。


「今やるべきことは何かを考えろ!余計なことを考えてる暇はないのでは?」
勝海舟の言葉が胸に響き渡ります。

安全保障関連ー低レベルな意見

Posted by クリエイティブデザイナー on 23.2010 考え 0 comments 0 trackback
物理的戦争が勃発するのではないか?
韓国船の沈没原因が、北朝鮮によるものであることが証明されたことになった。
現在の北朝鮮は、外から見れば、太平洋戦争前の日本のアナロジーとして捉えられるように思う。
朝鮮戦争が再び勃発すれば、日本も被害を受けずにはいられない。
日本は、あまりにも平和ボケしすぎているようで、もっと国民も危機感を持たなければいけない。

仮に、朝鮮戦争が始まれば、世界情勢はどうなるか?
あまりにも少ない私の知識から、想像してみる。
多くの国は韓国につくが、ロシア・中国はどうなるのか?
再び、冷戦時の構造になるのではないだろうか?
中国とロシアの動きは全く想像できないが、アメリカは当然のごとく軍隊を派遣する。
当然日本の基地からも派兵するだろう。
すると、北朝鮮ミサイルが日本に飛んでくることは間違いない。
もしかすれば、自衛隊の派遣もありえるかもしれない。
それほどの状況であると認識すべきなのだろうと、私自身は考えている。
平和ボケでいるわけにはいかない。



それと関連して、普天間基地問題も考えてみたい。
鳩山総理の想いはよくわかる。
が、あまりにも短い期間で決着させようとしすぎである。
日米合意が先行してしまった、しかも(総理としては)かなりの妥協案を受け入れてしまったということは非常に問題である。

民主党は、あえてこの問題に関して素人を集めて、新たな政策案を模索してきた。
しかし、結局は「在日米軍の抑止力を低下させてはならない」ことを理由に、逆戻りの辺野古案になってしまった。

もう無理だろう。急いで決めるべきでは絶対ないと強く思う。
ある人が言っていたが、大切なのは心である。
沖縄県民の3割が賛成、3割が仕方なく賛成くらいの状況にならないと無理であろう。
よって、とりあえず訓練を県外に移設し、実績を積む。
それが認められるまで時間をおき、そこから再スタートしていく。

さらに、その他のメリットなどもしっかりと示し、システムとして、パッケージとして売り込んでいく。
そのようなサクセスストーリーを考えつつ、行動していかなければいけないだろう。



それにしても、2点気になることがある。
1つは、沖縄県民の負担軽減のために行っている政策が、県民の大きな反発の中進められているという矛盾。
もしかすると、総理自体が目的を見失ってHow toに執着しすぎているのではないか?
もう1つは、コミュニケーションについてである。
鳩山総理は(その他の総理もかもしれないが)猫背・喋り方・目線・声・服装がダメすぎて真剣度が伝わらない。だらしないとしか思えない。
やはり、話す内容だけでなく、どう話すかも大事である!
以上2点は、私自身にもいえることだと思うので、気を付けていきたい。




外へ飛び出す

Posted by クリエイティブデザイナー on 20.2010 考え 0 comments 0 trackback
今日は、私の師匠であるK先生と友人と3人で夕食を食べてきた。
とても楽しい時間を過ごすことができた!

まず、私の様々な悩みを聞いてくださり、アドバイスを頂いた。

「日本の基幹産業を確立したいがどうしたら良いのか?」
→海外(特にシリコンバレーやボストン)に行き、インターンシップ的なものをやってみろ。
コミュニティやエンジェルの存在があるアメリカでは、セレンディピティが起こりやすく、
今考えている・興味があることよりもっと良いものに出会えるかもしれないし、同志が集まってくるものだ!

「基幹産業を確立するために、企業で働くか官僚になるかどっちが良いと思うか?」
→きっと君は企業だよ!(よくわかってくれてるK先生の意見だから信用している)


そして、仕事を遊びに変える手法というか、K先生のワークスタイルを改めて聞かせていただいた。

・与えられた仕事を、自分流にアレンジしていく(クリエイティブ精神)
・頼まれた仕事を、相手の予想を超えてこなしてみせる(サプライズ精神)
・社内の制度をうまく使い、海外に出ていく力(飛び出す精神)
・仕事をゲーム化してしまう(遊ぶ精神)
・自分の信念を貫き、それを主張できる力(強さ精神)
・趣味を持つことで、仕事が楽しくなってくる(娯楽精神)
・本当の安定は、自らの能力を鍛えることである(知的武装化精神)
・実力を身に付けていけば、自然と名前が売れてき、人脈が広がってくる(人脈精神)

K先生の話を聞いていると、本気で人生を楽しんでいるのがヒシヒシと伝わってきた!!
やっぱ人生楽しまんとあかんやろ!
仕事もそういうマインドで取り組まないとあかんと思った!

そして、やっぱ俺が今やるべきなんは海外に行ってみることなのがわかった!!
絶対アメリカ行ってくる!!
シリコンバレーで自らの視野を広げ、人脈を作り、セレンディピティを生み出しまくるぞ!!!
そう強く感じた!

本当に幸せな時間でした。
身近に師匠を持てることは本当に幸せです!!
ありがとうございました!!

身体との付き合い方ー脳科学・コミュニケーション・インタフェースからー

Posted by クリエイティブデザイナー on 19.2010 考え 0 comments 0 trackback
哲学センスのない私が、身体について少し考えてみた。

・老いよる身体(主に脳)の変化と人間生活を脳科学・コミュニケーションを頼りに探る

・身体障碍者(特に、目も耳も途中で不自由となった福島さんを例として)をきっかけとして、ディスコミュニケーションとその改善法を考え、そこで得た知識からインタフェースへと話を広げる

この2テーマを述べたい。



まず、老いによる脳の変化について。
脳については、神秘性が故、非常に曖昧な議論がなされている。
よって、今回述べることも正しいかは定かでないが、述べてみたい。
「脳の局所性」という大発見が昔あった。
しかし、最近は、例えば視覚野を構成していた脳細胞が死滅したとしても、シナプスの組み換えが起こり、脳の別の部分で働きを補うことができるそうだ。
それが、実際起こっているとされる一つの例が、植物人間患者さんの回復である。
昨日は、ある植物人間の奥さんを介護する旦那さんのビデオを見た。
植物人間状態から回復していく過程を、その旦那さんは「まるで、奥さんが赤ちゃんとして生まれ変わったようである」と述べている。
確かに、ビデオを見る限りではそのように読み取ることができた。
物の食べ方や言葉を覚えることから始め、反抗期を迎えて髪の毛を引っ張ったり、愛情表現方法が変化していく様子がアリアリと伝わってきた。
「自分がこの旦那さんの立場だったら、果たしてここまで面倒を見れるか?」
正直、そんな考えも浮かんだ。それほど、介護とはしんどいようである(経験してないのでわからないが)。

このビデオから学んだことは、大きく以下の2点である。
・脳は、我々が想像するよりはるかに高度な機能を有している
・介護におけるコミュニケーション(患者と介護者、そして医者との)の難しさと、その軽減方法(ロボット技術?)について強烈に考えさせられた。

2055年には、若者一人が一人の老人を助ける時代がやってくる。
介護の問題を考えないわけにはいかないだろう。
それを、ロボットを代表とする「技術」で乗り越えようという考えを全肯定するつもりは全くない。
しかし、大きな手法の一つとして、いわゆる介護ロボットを普及させていくという流れもしっかりと考えないといけない。
そう強く考えさせられた。



それにしても、介護は難しい問題だよな。。。。。







次に、身体そのものを感じることについて。

身体を(宗教的意味ではなく)日常生活から乖離させ、自らの身体を感じ、他人に委ね、互いが感じあうというワークショップを行った(ちゃんとした大学の授業である)。
脱力状態を40分くらいかけて作れば、日常感じる身体と全く違ったものとなり驚いた。
まず、腕の重たさが違う!
重力をしっかりと感じることができ、かなり重たいモジュールが付いていたということを認識させられる。
さらに、肩の力を本当に抜くことができた。恐ろしいほど。
普段は、知らない間に常に肩に力が入っているものだ(だから、私も肩こりに悩まされている。。20歳代だがww)。
それを、ワークショップで慣らすことで、驚くほど力を抜くことができ、身体としてリラックスすることができた。

ここから言えるのは、私たちは、自らの身体が身近であるがゆえ、ほとんど普段意識していないということだ。
さらに、ストレス社会と言われる中で暮らしているが故、知らぬ間に緊張感を保ったまま生活をしている。
心身ともに健康でいるためには、たまにはこういった”超越した”ストレッチをしなくてはいけないのかもしれない。
そして、他者と身体を用いてコミュニケーションを行う中で、興味深い命題を発見することができた。
「リーダーは、フォロアーがついてきてくれるからこそリードできる」
面白いもので、お互いが手をつけて、どちらかがリーダーとなり手を動かしていく。
その中で、フォロアーがピタッと手を止めれば、リーダーは全く手を動かせなくなるのである。
リーダーシップについては、大学生活の中で最も考えさせられたテーマの1つであるが、リーダーシップの原理は、こういった身体からも議論できるということである。
学問体系として成り立っていない、曖昧な知識、しかしとても私たち人間にとって原理的な部分から考えを積み重ねていくことで、もしかしたら様々な社会現象を説明できるのかもしれない。


さらに、話を進める。ワークショップの中で、目も耳も聞こえない(しかし喋られる)人といかにコミュニケーションを取るかという実験も行った。
「夕食に食べたいものは何ですか?」「好きな電化製品は何ですか?」
こんな簡単な問いかけでさえ、聴覚と視覚を使わずにコミュニケーションしようとすると大変苦労する。
どちらの立場も経験させてもらったが、支援する側の方が100倍しんどい。
介護をしたことはないのだが、介護疲れが社会現象となる現状が少しわかる気がする(よって介護ロボットは急務だと私は考える)。

このワークショップの中でも様々なことを感じた。
・支援する側の人が、自然と支援される側の人と同じ方向を向き、身体同士の距離を短くする。
・支援される側の人が、自発的に、そして立体的に動作できるよう支援しないと、全く想いは伝わらない。
・コミュニケーションルールそのものも上手く伝達できない状況ではあるが、ある程度きちんとしたマニュアルがなければコミュニケーションの途中で止まってしまう(例えば、今回の場合「濁音」を伝えることに相当苦労した)。
・障碍者一人ひとりに応じた特性が違うので、万人に受けるインタフェース(例えば点字など)を作ることは非常に困難である(が、非常に興味深い)。

私の中で、インタフェースとは、(普通の意味での)健常者が使いやすいデザインを追求していくものであると知らない間に考えてしまっていた(つまり「ユーザビリティ」の向上ばかりに目が行ってしまっていた)。
しかし、それは間違いで、誰もが使いやすいデザイン(アクセシビリティ)を、例えば身体といった人間の基本的な事柄から考えていくという発想が非常に大切であることを実感することができた!

ある人は、触って"観れる"博物館を作っているようである。非常に面白い試みだなと感じた。
もっと、身近なところに、実験のテーマが転がっているような感覚を覚えた。
「灯台下暗し」実験テーマについてもいえることかもしれない。

ロボット・・・

Posted by クリエイティブデザイナー on 18.2010 ヒント 0 comments 0 trackback
ロボットの未来はどうなのか?
明日は、ロボット学者と話してきます!楽しみ!!


◆参考資料

経済産業省
http://www.meti.go.jp/policy/robotto/robokenkyu/3kenkyu_%283%29.pdf
総務省
http://www.soumu.go.jp/main_content/000010183.pdf

歴史から学ぶ思考法

Posted by クリエイティブデザイナー on 16.2010 考え 0 comments 0 trackback
「歴史から学ぶ」

小さいころから、父親に言われてきた言葉である。
最近、この言葉の意味・大切さを痛感させられる。

さて、前回の龍馬伝の内容を踏まえて、太平洋戦争前の朝鮮と日本の関係を少しだけ考えてみたい。


「同じ物事でも、右から見るのと左から見るのとでは、全く見え方が異なるものである」
周知の事実かもしれないが、果たしてどれほどの人間がこの言葉を真に理解しているかは、はなはだ疑問である。

民族自決の流れから生じた「三・一独立運動」は、朝鮮人にとっては当然であった。
そして、イ・グァンスが唱えた「民族改造論」も、日本の維新の頃の発想と対して変わらないものであるし、全く悪いモノではないと思う。
が、同時に、朝鮮の混乱を治め、朝鮮をしっかりと保護しながら自らの国際的地位を守る日本の姿勢も全く自然なものである。
以上をしっかりと踏まえた上で、自らの日本人としての考えを持つ必要があるのだろう。

頭ごなしに謝る政治家もいるし、何も考えずに日本の立場を主張する人もいる。
それはそれで間違いではないのだろうが、私を含め多くの人はもっと広い視野で歴史を学び、日本人としてグローバル社会に出ていく必要があるのだろうと感じている。


また、これもよく言われる言葉であるが、「現在の行いは、数百年後歴史が教えてくれる」というのもある。
その中で、現在を自信を持ち信念を貫き生きるためには、「歴史からしっかり学び、それをアナロジー的に現在に落とし込む」必要があるのだろう。
この姿勢も大切にしなければいけない!


以上から、私がこれから取るべき姿勢・考え方を図にまとめてみた。
しっかりと実践していかなければ!

P.S. 歴史のアナロジーを使えば、すごく説得力が増すような気がしてならない。



◆自作資料~歴史から学ぶ思考法~

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信念を貫く生き方ー龍馬伝を見てー

Posted by クリエイティブデザイナー on 16.2010 考え 0 comments 0 trackback
龍馬伝の感想。

この時代は、みなが素直に生きていたんだな。
特に、若い男の多くは、国を守りたいという一心で懸命に生きていた。
素晴らしい時代だと思います。

龍馬に関して言えば、出会いを大切にし、人を大切にし、人間味のある人物であったから、これほどまで尊敬できる存在となったのであろう。

興味深いセリフがあった。
「世の中の流れで見れば、ひとりの人間なんて米粒みたいなものである。しかし、一人一人の命はとても大切である。」
とても納得できる話であるが、論理であれば矛盾である。

ある人物に、一人の命など価値はないと言われたことがある。
それは、矛盾のない論理で考えていけばそうなのかもしれない。
しかし、私はどうしてもそれは許せない!!
全体としてみれば、どんな人物であろうと価値などないであろう。それは否定できない事実だと思う。
しかし、命に代わるものなどないと強く思う!
どんな論理でも説明できない絶対命題が「命はかけがいのないものである」なのだと思うのだ!

この世には様々な考えの人がいるわけで、私の友人の中にも、自分の命になど価値はないと言い張る人もいる。
価値が少しでも生まれるような人生を送りたいと考えているのである。
それはそれでいいが、私自信としては絶対反対である!
私自信の命には価値があると疑いもなく考えているし、周りの人たちもそうである!

まとまってはいないが
「論理は全てではない!絶対に○○は駄目!」
という考えを忘れてはいけないと強く感じた。



そして、自分自身に素直に生きることの価値も実感した。
維新の頃の若者の人生は素晴らしく思えるし、恐らく彼らも自身の人生に満足していたはずである。
しかし、どんなに正しいと思うことをしていても、どんなに国のことを思っていても、世の中の流れを踏まえた(予想した)行動をしなければいけないということも実感させられた。

世の中をしっかり見つめながら、自身の信念を貫き生きていく人生。
それはとても幸せな人生なのであろう。


まとまりはないが、今回の龍馬伝で以上のようなことを考えた。
みなさんは何を感じられたのであろうか?



P.S

・物事は見る立場によって正反対となる場合もある。忘れてはいけないことだ。現在の政治も、そのような視点で広く眺めれば、新たな想いを感じる。

・国のためを思って行動せずとも、自身に素直に懸命に生きれば、結果としてそれが国のためになることもある。

・「生き金」:使った分の何倍も何十倍も価値の出てくるお金。とても良い言葉ですね。

消え行く中流層・・・

Posted by クリエイティブデザイナー on 16.2010 ヒント 0 comments 0 trackback
周知の事実であるが、日本の中流階級の人数が相対的に激減し、所得層の二極化が進んでいる。
年収が1500万以上の人々と、200万以下の人々の割合が毎年増加し、500万程度、800万程度の割合は単調減少を辿り、ものすごい勢いで減少している。
人口ピラミッドだけでなく、所得層もつぼ型化しているのである。
◆参考資料
http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/minkan2006/minkan.htm

これを、数値ではなく現象として捉えた場合、一つとして「百貨店の売上減少」がある。
高度成長の頃は、多くの人々が中流意識を持ち(実は、統計調査が悪いので適切な結果とは言えないのであるが一応)、
・価格の高いのは良いモノ
・みんなが持っているから私も同じものを買う
という考えのもと、百貨店で様々な商品を買っていたらしい(TV曰く)。
が、百貨店業界はご存じのように経営悪化をし続け、一部の富裕層が訪れる"狭い"業界となっている。

しかし、これは百貨店業界だけの問題ではない。
例えば、第2次産業も大量消費の時代は終わりを迎え、特に増加している低所得者層は、安くてそこそこ良いモノを求めるようになり、財布の紐が緩まらない状態が続いている(日経新聞によると今年から回復するようであるが)。

低所得者を狙っている、または高所得者層だけを狙っているだけでは、なかなか内需も進まないしお金の循環も良くならない。
そこで、中流層を獲得すべく、「中国の中間層」への期待が高まりつつあるようだ。

ビザの発行の基準を政府が引き下げる方針であり、ますます多くの中国人、それも一部の富裕層だけではなく中間層もが、日本を訪れるようになるであろう。
中間層だけでも、4~6億の消費者がいるわけだから、日本としては是非とも獲得すべきであると私も思う。
では、どうすれば中国人が日本の製品を買い、また日本を訪れてお金を落としてくれるようになるのか?
そのヒントとして「日本の良さ、それもセンス的な意味での良さ」をアピールすることが考えられているようだ。
どういうことかと言えば、中国で流行った映画のロケ地が、日本のどこかであったとしよう。
それを目当てに、中国人観光客が訪れるといった現象がみられるようである。
また、日本人は一種の"あこがれ"を抱かれているらしく(真実かは定かでないが)、日本人のマネをしようという傾向がどうも強いらしい。
例えば、日本人の使っているモノ、日本人のライフスタイル、それもファッションからあらゆるものまでを、中国人は目標とし、「used in Japan」「using in Japan」のモノを求めて、日本を訪れたり、ネットで日本製品を買う人々が多いそうだ。
これを日本企業、そして政府が見過ごさないわけにはいかない。
何としてでも、日本の製品への執着心を弱めることなく、外貨を稼ぐべく奔走しなければいけないと私は思う。

それにしても、上記の状況を見ていると、歴史が繰り返されている気がしてならない。
少し前の、日米の関係のようである。
そこで、日本人に必要な方針というか、それを2点あげてみたい。

1.アメリカのような二極化が極端となり、超低所得者層の増加による治安悪化、そして地域格差を是正するようしっかりと方針を打ち出す必要があること。

2.中国のバブルがいつかはじけるという危機感を持ちながら、中国へ進出していくこと。

歴史に学び、日本が"賢く"国際社会で生きていく必要があるであろう。
私も歴史を学び、過ちを繰り返さぬよう生きていかなければと強く感じている。

市長

Posted by クリエイティブデザイナー on 16.2010 考え 0 comments 0 trackback
改めて思うけど、市長って面白い職業やな!
自分がなろうとは思わんけど、魅力的な人・個性的な人が地域から活性化をしていき、
日本全体が元気になればと思います!
そんなボトムアップ的なことが実現するかはわからんけど・・・。

もっと個性的な人材が活躍していっても良いのではないかなと思いました!

中国をどう見るか?

Posted by クリエイティブデザイナー on 03.2010 ヒント 0 comments 0 trackback
日本は、どうやって外貨を稼ぐべきか?
私は、インフラを途上国に売っていくべきではないだろうか??


上海万博が行われている。
アフリカのパビリオンは、ほとんど中国の出資であるようだ。
日本と中国は、以前からアフリカの資源争いを繰り広げている。
アフリカの人々の日本に対するイメージはどんなものだろうか?
さらに、中国は1兆円を無利子でアフリカ諸国へ投資することを決めている。

…帝国主義みたいな状況では??なんて少し考えてみたり。。。



やはり、中国は意識しなければいけない存在である。
12億人の市場は大きいし、さらにライバルとして考えていく必要もあると私は思う。
中国は、大都市内での、そして地域での格差が酷い。
そこが、また怖いところであるが、日本もそんな状況になり得る可能性がある。


う・・・・ん。勉強不足であること実感。

テキスト型コミュニケーションの可能性

Posted by クリエイティブデザイナー on 02.2010 考え 0 comments 0 trackback
テキスト型コミュニケーションの可能性はいかなるものか?

最近、頻繁に考えさせられる。


テキストとは、少しIT世界の専門用語的なところがあるが、簡単に言えば、まさ
に読んでいただいてるこの記事や、メール、チャットといった、電子媒体を介し
てやりとりされる文字情報の総称である。

メールやブログは近年急速に発達してきた。可能性も大きいうえに、手軽に配信
できるため、利便性の高さが人気となっている。
しかし、(わかっておられるであろうが)テキスト型コミュニケーションは制約
というか、言葉で伝えられるはずの情報の一部が失われてしまう。
私はそれが嫌いで、テキスト型コミュニケーションには可能性を見いださず、い
かにリアルに言葉で伝え合う感じをIT技術で実現するかについて、昔から関心が
あった(今もである)。

しかし、最近ある出来事をきっかけに、実際の言葉によるコミュニケーションで
は実現できないことを、テキスト型コミュニケーションでは実現する力があるこ
とに気づいた。

例えば、ヒエラルキーの強い組織で、部下が上司に意見を提示する場合である。
直接や、会議で手を挙げて…は難しくても、テキストでならば伝えることができ
るケースも多いにあるのではないか?

最近、Twitterを用いた会議や発表会があるようで、リアルタイム性を保ちながら
、権力構造の壁をも 飛び越えることができる、一つ面白い事例ではないかと思う



このように、一見冷たいコミュニケーション手段であっても、よく考えれば可能
性が大いにあるということを痛感させられた。

無会話状態老人

Posted by クリエイティブデザイナー on 02.2010 ヒント 0 comments 0 trackback
無会話状態老人が増加しているようである。
一人っきりとなってしまい、喋る相手を全く見つけられないまま会話を全くしない日々か続いているご老人のことである。

その方々が、電子メールをしてコミュニケーションを取ったり、ロボットと会話をすることで、満足感を得ているとインタビューに応じていた。
非常に驚いたが、そういえば私の祖母もロボットを持っている。


さて、今後さらに高齢社会が進んでいく。
その時、私たちはどんな対策を打つべきなのだろうか?
上記のように、電子媒体のコミュニケーション技術を向上させ、より高度なコミュニケーションロボットを開発すべきなのだろうか?

「技術で解決すべき問題は技術で、そうでないものは技術では解決しない」

こんな意見を言う人はほとんどいないと思うが、私が意識している言葉である。
果たして、無会話状態老人問題を技術で解決すべきなのだろうか?
それよりも、無会話老人状態同士のコミュニティーをもっと活性化させるべきなのだろうか??

そんなことを考えさせられた。

リーダーシップを考える

Posted by クリエイティブデザイナー on 01.2010 考え 0 comments 0 trackback
「リーダーシップとは、先天的な能力か、それとも後天的な能力か?」
知識創造企業やSECIモデルで著名な野中郁次郎氏の、一番弟子とも言われている”紺野登”氏が以前、講演の最初におっしゃっていたのを今でも覚えている。
今日、それを改めて思い出すきっかけとなる出来事があった。


本日は、「音楽人の”共鳴”のリーダーシップを考える」イベントに参加してきた。
結構有名な(?)フルート奏者や作曲家などが集まり、音楽におけるリーダーシップについて意見を述べておられた。
それを聞いてつくづく思ったのが、
「リーダーシップについて議論をすることは、果たして意味のあることだろうか?」
ということである。

音楽の中でもとりわけ人数の多いオーケストラを例に考えてみる。
プロの音楽家は本当に個性的で、ある音楽を奏でる際にも、一人一人が異なる演奏を行おうとする。
美しい演奏とするためには、それらを上手く”束ねる”リーダー(的存在)がいるはずである。

数十年前から主に研究され始めたリーダーシップ論であるが、今日のイベントを通して、それが何故かバカバカしく感じられた。
もちろん、学問としてリーダーシップを考えていく姿勢は大切である。
さらに、その成果を上手く取り込みながら自らの・組織のリーダーシップ力を高める行為も悪くない。
しかし、真にパワフルなリーダーシップとは、体系立てて考えられるものではなく、個々人の中にあるユニークなモノであるように思われ、それは己のみが磨くことのできるモノであるように強く感じた!

そもそも、演奏をしながらリーダーがどうのこうのなんて考えている人はいないだろう。
さらに、音楽はダイナミックにリーダー(的存在)が変わっていくらしく、何か絶対的な能力を皆が備えているとは考えずらい。

本日のイベントを通して、「リーダーとは”自己変革リーダー”である」ように思われた。
リーダーシップ論を学んだり、優秀なリーダーをケーススタディとして捉えるのも良いが、もっと自己を見つめていくことも大切であるように感じた1日だった。
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